嫌な顔

20170427

いわゆる嫌な顔というものがある。
辞任した今村復興相の顔は、私の代表的な嫌いな顔である。
ここ数回テレビで見かけているが、久々に嫌味な顔に出会ったような気がした。
ことの顛末はあまりにも瑣末すぎるから顔も嫌いというのじゃない。
ことに関わらず、いわゆるあのテの顔が嫌いである。
私の嗜好の問題であるが、どうも狭量的な雰囲気がダメだ。
70歳、何を背負って生きてきたのかと。
嗜好の問題であるが、人それぞれに『絶対にイヤ』というものがあろう。
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子育て

20170426

駅ビルのレストランで昼食を食べていると隣の席の話し声が耳に入る。
「負けず嫌いも過ぎると、卑しいい人になってしまうから‥」と。
30前後の女性二人で一人は赤ん坊を背負っている。
オムライスを食べ終わってコーヒーを飲みながら子育て話に夢中だ。
私は鳥もも肉のカリカリ焼きを食べながら、買ったばかりの池上彰著『世界から格差がなくならない本当の理由』を読んでいる。
話し声が大きく池上本が進まず彼女たちの子育て論に聞き入ってしまう。
「負けず嫌いも過ぎると、卑しいい人になってしまう」とは名言のようで、本を読んでいるフリをしながらメモをとる。
ゴルフでスコアーをごまかす卑しい人がいたような気がする。
若いママさんの会話にこれほどの名言を聞くとは意外であった。
将来の日本も捨てたもんじゃなさそうだ。

芽吹き

20170423

庭の芝に雑草が芽を出し気まぐれにつまみ抜く。
でも一本異質を抜くと続けて2本になり、ついには座り込んで3本が4本となり、あっちもこっちもとなってしまう。
花壇の面倒が見れないので、昨年暮れに張り替えてた芝である。
当初から雑草が生えても放置して、芝や雑草や名も知らぬ花の混然を放置しようと思っていた。
時々ザーッと刈り込んで野原のようなイメージである。
でも、異質が気がかりでついしゃがみこんでホイと抜いてしまう。
するともう我が異質抜きは止まらなくなってしまうのである。
人生などアバウトでいいのだという我が信条が崩れて、体力が尽きるまで異質抜きを続ける。
夕暮れの西日に気がつき立ち上がり恐る恐る腰を伸ばし、私も異質だったのかと自問したりする。
芽吹く命の勢いがもう手に負えなくなってしまった。
やっぱりアバウトでいいのだ。

老境の自我

20170420

録画しておいたテレビドラマ『やすらぎの郷』を見て驚く。
場面は老人施設のバーである。
男の老人3人がカンターで酒を飲んでいる。
ミッキーカーチース、知らない俳優、石坂浩二である。
ミッキーカーチースがタバコを吸っていたが、途中から石坂浩二までタバコを吸い出す。
一瞬びっくり画面を凝視して「老人がタバコを吸うかよ」と。
倉本聰モノである。
倉本は喫煙者で今でもタバコをくわえながら写真に写っている。
禁煙できないのであろう。
それとも「俺は禁煙などしないよ、82歳の俺が今更やめてもどうなるものでもないぞ」と、風潮に逆らって生きているのか。
私は7年前に大変な苦労をして禁煙に成功した。
今言えることは、やっぱりタバコはやめるべきだ。
倉本演出として、老境の自我に違和感を感じる。
老境は「オラー」となど我を張っちゃいけないのだ。

生きるとは

20170418

シニアーアカデミー3回目に出席した。
一回目は織田信長、二回目は前田利家、三回目は真田幸村であった。
授業は面白く聞いたが、私の歴史知識は常識程度である。
授業が終わり教室からぞろぞろと退室すると、私の前を歩く老人に驚く。
小柄で80歳半ばであろうか、両手に杖を持ってヨロヨロと辛うじて歩いている。
私は彼の速度に合わせ後ろからついてエレベターの前に来た。
これほど身体不自由なのに、尚も知識欲旺盛な生き方のことだ。
教室は青山一丁目であるが、どこから来ているのであろうか。
彼は飽くなき知性と教養を求め続けているのか。
それとも身体不自由であっても、家に閉じこもることなく命がけで外へ展開しているのかもしれない。
いずれにしても、彼には生きるとは何かをすることに同義語なのであろう。
生きるとはと、考えさせられる。
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Author:seishingama
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